第3期第5回:優秀作品


鈴木理恵子 書評「小銭をかぞえる」(『小銭をかぞえる』収録)

 スター誕生である。それまで負の要素であったことごとくは、芥川賞受賞の瞬間から彼の文学を彩る経歴に転化した。まさに反転したのである。
 2004年文壇デビューの『けがれなき酒のへど』以来、一貫して私小説を書き続けている西村賢太。本作は、単行本としては4作目にあたり、著者の分身ともいえる北町貫多を主人公にした連作小説となっている。近代文学における私小説は、「病気」「貧乏」「女」が三本柱だったわけだが、この主人公は頑強そのもので、「病気」の代わりに「暴力」が入るわけである。
 もはやお家芸となっているバイオレンスなだめ男っぷりは本作でも遺憾なく発揮されている。藤沢清造全集刊行のために金策に走るも、誰ひとりとして相手にされず、いよいよ同棲相手の女に泣きついてはみたのだが……。痴話げんかとしか言いようがない内容なのに、なぜこんなにも面白いのか? それはひとえに貫多の卓抜した人物造形によるものだろう。小心者で、激情型、自分に甘く、他人に厳しく、猜疑心が強く、嫉妬深く、プライドが高く、志も高い、感受性に優れ、粗暴だが、わずかに優しいところもある男。苦悩するインテリ像が多い純文学の中で、直情型の低学歴者を主人公に据えその日常を余すことなく描いている。もうひとつ特筆すべきは会話体の巧さであろう。主人公と同棲中の女との生き生きとした会話は夫婦漫才のごとき味わいがある。加えて文章にちょくちょくはさまる近代文学臭。さらには強引にからめてくる藤澤清造エピソード。それらが混然一体となって独特のリズムをつくり、賢太節ともいうべき文体を作り出している。
 「私の女」の描写もまた魅力的である。著者の描く女性は、けなげで、かわいらしい。だが、それだけではない狡さやしぶとさのようなものもきちんと描かれている。池袋のデパートで食べた五目焼きそばのあまりの美味しさに、互いに何度も顔を見合わせて「あんな美味しい焼ソバは初めてだよ」と感想をもらし、祝い事のときはこの焼きそばを一緒に食べようと約束する。哀しい。焼きそばが哀しいのではない。この2人は、つましく、ひとしなみに暮らそうとして努力するのだけれども、どうにもうまくいかない。それもこれも、このDV男がぶち壊してしまうからなのだが、それでもやはり寄り添おうとする。その寂しさ。寄る辺なさ。哀情。2人で一緒にいても孤独である。けれどもその孤独こそがこの2人をつなぎとめてもいる。
 悲惨きわまる内容でも露悪的にならずエンターテインメントに仕上げているのは、実体験の徹底した客体化と躊躇なく描き切る筆力によるものだろう。またその反面、小説用に構築し直しているところも勿論あるはずである。著者はもう文学をやるほかには人としての道はないような男である。こういうのを才能と呼ぶのだろう。

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