第2期第2回:優秀作品


柳川昌平 ブルボン小林『マンガホニャララ』(文藝春秋)

小説家'長嶋有'が'ブルボン小林'名義で書いた、表紙のハットリ君と背景の斬新なレモンクリーム色(?)が周囲を和ませる、定価{1143(いい読み)円+税}の吹き出せる漫画評論集。元の連載は2002年以降だが、取りあげる対象は古今を問わず、その時点で著者が本当に面白いと感じているだろう漫画の魅力が伝わってくる。
 著者は、作品と読者との関係の捉え方がリアルだ。作品に対して読者がうすうす感じていたことを、それも作品の魅力だと言い切ってくれる。私は、『おおきく振りかぶって』に登場する母親たちが、スポーツ漫画における脇役の進化形であることや実は少しエロいことを、言われて大きく頷いた。『ちびまる子ちゃん』で育った自分の「くだらないもの注ぐ観察眼」がくだらなくないと言われたようでほっとした。読むと各々そういった共感がきっと起こる。
 もちろん、漫画の読み方の新鮮さと多数さに驚く。著者は、漫画でしか出来ない表現の可能性を全方位的に探っていて、常に驚こうとしている。止まった絵よりも、ページをめくる時に面白さが生じる表現の方が漫画的であるという持論は、常に普通の漫画の読まれ方が考えられている意味で、作品を本質から外れて評価しないことにつながっている。一方、登場人物が「地に足をつけて生きている」こと自体が新しい表現(『にこたま』)だと言ったり、かなり好きらしい藤子・F・不二雄が古めかしくもギャグ漫画の体を取り続けることを愛おしく思ったりする点からは、感動が先にあっての分析であることも感じさせる。また、作品のリアリティは細部の情報にあるという意識は著者の小説にも共通するが、評論という形式ではストーリーに寄り添いすぎて解説しないことが、読者の自由な読み方を縛らないという効果も生んでいる。
 作品を批判しても褒めているのと同義である本書の中で、唯一本当に批判されている浦沢直樹の回は印象的だが、作品全部を批判したりは著者はしない。『PLUTO』の第一巻最終コマに描かれたアトムには、「ドキドキした」と褒める。私の勝手な予想だが、必ず注目する最終コマで読者を驚かせるのは浦沢直樹の技であるとして、もしアトムが巻のどのコマにあっても著者の場合同じように感動したと思う。著者はどのコマも最終コマのように面白がろうとしている気がするのだ。
 最後に、本書は一ページに一コマ程、評する漫画の実際のコマが貼られているが、その紹介するコマの選択と著者のコメントが抜群に面白い。それらを見て思い出した完全な余談だが、QJのvol.82の、「ナイツ」のインタビューに土屋伸之の写真があり、そのコメントは記事とのギャップがひどい。

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