第2期第2回:優秀作品


落雅季子 長嶋有『パラレル』

情熱迸るような至上の恋より、指の隙間からほろほろこぼれるような淡い思いの方が長く続く。そしてその方がずっと苦しいこともある。パラレル。交わることのない平行線は、痛みの本体には決して触れない。快楽の底をさらうようなこともしない。でも確かに側にあって、ひっそり傍らをなぞっては、少しずつそれらを浮き彫りにしてゆく。
 ゲームデザイナの七郎は、学生時代からの友人である津田と、三十を過ぎた今も何となく親しくつるんでいる。二年前に別れた妻からは、ちょくちょく他愛もないメールが来る。思い出したように、本気か本気じゃないのかわからない恋をする。七郎の生活には、どっちつかずの曖昧な気持ちがあふれている。出来事の時系列が、学生時代や離婚前後、現在を行き来する構造になっていて、七郎の逡巡や回想の波が、読み手にも寄せては返す。
 曖昧な関係は不安だし、いつまでもそこに安住していられるほど若くもない。このままの状態が続くわけないよね、と読みながら思う。でもこの本は、そういう"このまま"の連なりを、とても繊細に引き延ばしていて、様々な終わりかけの気持ちに佇む人々のせつなさをいっそう鮮やかに描き出している。今度こそ終わりかも。でも、終わりじゃないかも。
 もちろん、"このまま"じゃ終わらないのが小説だ。この本だって例外じゃない。でも、別れるか否かというのは、実は大した問題じゃない。終わりに至るプロセスが、美しいということもある。愛し方よりも、別れ方にその人の本質が出る。七郎とその妻、津田、サオリ、唇の赤い女といった登場人物たちがそれぞれの色を見せるのは、何かを吹っ切り、愛したものに別れを告げる、そのときである。忘れないために、選ぶ別れもある。忘れないということは、これからも思い出すということだ。パラレル。平行線を描く彼らの道は、交わらずとも遠くはなく、手を振ったら見えるくらいの距離を保って伸びていく。孤独だけど、寂しくない。そういう気持ちを実感できることも幸福のひとつなのだと、本を閉じたあとにじんわり思えるような小説である。

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