第3期第1回:優秀作品


冨坂友 書評 坂口恭平著『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』

 「なぜ裸で歩くと捕まるのだろう、我々は裸で生まれたのに」誰もが一度は思う疑問だろう。本著は、その疑問を住居の面を中心に捉え、「我々は、現代の都市で、無一文で暮らすことが出来る」と唱える一冊である。
 著者である坂口恭平氏は、幼少期に共有のこども部屋に自分の「巣」をつくったことから「住処」に興味を持ち、建築家を目指すが、その中で「なぜ建物を作らなければならないのか」「そもそも、土地を占有することが許されるのか」等の疑問を抱き、一般的な住居を購入・賃借せずに暮らす方法を考え始める。その疑問はつまり、前述の衣服の件と同じく「社会的なシステムに縛られなくてはならないのだろうか」という点に集約される。
 本著では、読者の我々を「今の我々が、無一文で、着の身着のまま路上に放り出された」と想定して、路上生活者の持つ衣・食・住の確保のノウハウを「都市型狩猟採集生活」と紹介する形で進行していく。平易な文章や挿入されるイラストは、キャンプ初心者のためのマニュアルや、一種のハウツー本を思わせる。しかし、それを通じて語られるのはノウハウ以上に「人は常識による固定観念に支配されている」ということであり、「そこから逃れると、無機質に見えた都市が宝の山に見える」という新しい価値観である。著者はそうした多様性を見出す目線を「解像度の高い思考」と呼び、新たな世界の見え方を提示する。
 一方で、通常の都市生活を「ある階層(レイヤー)にすぎない」と言い放ち、その常識を疑う地点から始まっている本書であるが、そのうえで一般の社会人との交流や交渉、路上活者同士の師弟関係など、つまりは「社会性」を積極的に肯定していることが印象的である。むしろ、法律や貨幣経済を疑って自給自足することにより「人間は社会的動物である」というが浮かび上がってくるとさえ言える。
 そのことからもわかるように、著者はもちろん社会制度に反旗を翻したいのでもなければ、単に世捨て人生活を勧めているわけでもない。読後の我々にとって都市が少し違って見えるように、何かを疑ってみることで世界を広げることができる、と説いているのだ。  3月11日の震災後、「世界は一変した」というフレーズをよく耳にする。確かに甚大な被害の出た災害ではあった。地震や津波の直接的な被害こそ無くても、ライフラインが途絶えた経験をした人も多いだろう。
 しかし、本著のように「最低限何がどのくらいあれば生きていけるか」とゼロベースで考える、発想の転換の機会と捉えることは出来ないだろうか。そして何より「疑ってみることで世界を広げる」という方法で、自らの中に「解像度の高い思考」を形成することが求められているのではないだろうか。

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