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| ラボ20#15 キュレーター岩淵多喜子インタビュー | |
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インタビュアー 手塚夏子(STスポット) |
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ラボ20というプログラムの魅力は、価値観が固定されないということだと思う。選考、アドバイス、及び公演全体をデザインするという役割を担う〈キュレーター〉が毎回変わるので、その都度ダンスに対するとらえ方も変わっていく。ダンスに関わらず、価値観も感じ方も多様であるということに、私は救いを感じる。「違う」ことに怒りを感じるよりも、「違い」を面白がる方がずっといいと思っている。 そして今回のキュレーターとしてラボ20に関わってくださるのは、「Dance Theatre LUDENS」(HP)主宰の岩淵多喜子さん。私と同年代で、数年前に一度彼女のワークショップを受けた事がある。同じダンスでも、私は自作自演ソロ活動であるのに対して、カンパニーを主宰する岩淵さんの活動ではどのような作業の違いが出てくるのかとても興味を感じた。 岩淵多喜子さんのプロフィールおよびラボ20#15の詳しい応募要綱は、wanted!のページをご覧下さい。 |
| 手塚 | 私と岩淵さんが最初に出会ったのは、スフィアメックスで行われたダンスパスでしたね。岩淵さん自身も踊られていた作品を見ることが出来ましたが、あの時はイギリスから帰国した後でしたか? |
| 岩淵 | そうですね、帰国した後でした。女の子三人の作品でしたね。あれは水戸芸術館でダンサーをやっていたときの休暇を利用してつくりました。また水戸芸術館のあとにも1年くらいヨーロッパに行っているので、完全に帰国したのがいつと限定するのは難しいけれど。ルーデンスをつくったのが99年で、完全に日本をベースに活動を始めたのはその99年ですね。 |
| 手塚 | 水戸芸術館の作品はエルベ・ロブ振り付けでしたよね。私見ました。コンテンポラリーダンス自体まだあまり見たことがなくて、とても新鮮でした。こういうものがあるんだー…という感じでした。誰がどういう風に踊っていたかとかを区別して見たりはできなかったですけれど。あれはダンサーとして参加していたんですか? |
| 岩淵 | そう、ダンサーとして2年くらい参加していました。イギリスから95年に一時帰国して水戸芸術館のダンサーをして、そのあと1年ヨーロッパに行って活動して、帰ってきて99年にルーデンスをつくったという感じですね。 |
| 手塚 | イギリスではラバンセンターというところに行っていたのですか? |
| 岩淵 | ええ、学生としていたのはラバンセンターです。水戸芸術館が終わってからの1年間というのはオランダとイギリスをベースにしていたプロジェクトに参加していました。 |
| 手塚 | なるほど、それはダンサーとしてですか? |
| 岩淵 | ええ、ダンサーとして。 |
| 手塚 | ラバンセンターでは作品を作る授業もありましたか? |
| 岩淵 | 一応ありましたけれど。私がいたコースというのはプロフェッショナルダンスディプロマコースという一年のコースですが、必修と選択とあって、結構選ぶ物によって、理論寄りになったり実技寄りになったりします。日本人は言葉の問題があったりするので実技寄りになりがちだったりします。コンテンポラリーとバレエと、ラバンの理論を使っての創作法などが必修で、それ以外が選択です。 |
| 手塚 | ではその時に自分の作品を作り始めたんですか? |
| 岩淵 | ええ、一応作らなければならないので作りましたけれど。 |
| 手塚 | その頃は、作るよりはダンサーとしての気持ちが強かったのですか? |
| 岩淵 | んー、どっちもという感じですかね。もともとはダンス教育やセラピーなどに興味を持っていました。というのも日本ではなかなか職業としてダンサーをするというのは難しいですし、実践的な学校というのもなかなか無いし、などと思って留学していろいろやっているうちに、結局実技思考になってきてしまったという感じです。でも作ることもそれなりに好きでした。 |
| 手塚 | では自分で作り始めたなと思ったのは、やはりルーデンス立ち上げの時ですか?あ、その前にASK(Artists' Studio of Kanagawa)のワークショップにも参加してましたよね。 |
| 岩淵 | でもASKの時はダンサーとしての参加でした。自分で作ってという感じではなかったですね。 |
| 手塚 | 私が最初に見た時は、まだルーデンスとしてカンパニーを立ち上げる前でしたが、もう完成度の高い作品を見たという印象でした。だから、もう作品を作る作業を着々とやってらっしゃるとばかり思っていましたけれど、そういうわけでもないのですか? |
| 岩淵 | ええ、そういうわけでもないかな。大学の時に友人と作ったりもしましたけれど、自分の作品として作ったのは93年か94年とかのラバンの振り付けクラスの中で、デュオを作りました。 |
| 手塚 | STスポットのダンスシリーズではソロの人が多くて、特に私も含めて自作自演の人がほとんどですが、自作自演というのは自分として、振り付けという感じではないなーという気がしていますけれど、岩淵さんの場合は、自作自演ではなく、振り付け作品を作りたいという気持ちでしたか? |
| 岩淵 | ええ、自作自演ということにはあまり興味が無かったように思います。 |
| 手塚 | なるほど、やはり個人的に自分と比べても、自作自演と振り付け作品では作業がずいぶん違ってきそうですね。 |
| 岩淵 | それはたぶん、私がダンサーとして、グループの中で働いていたということがあって、それをやっている時に、ダンサーとして、どういうふうに動きやテーマを解釈しようかとか、なにかセクションを任された時にどういうふうに出していくかなど、かなりクリエイティブな作業になってくるので、本当に与えられた振りだけをやるというようなことではなかったです。水戸芸術館で関わったエルベ・ロブにしても振りを展開させるという作業がやっぱりあったし、オランダに行ってからの振付家は、自分ではほとんど作らない振付家だったり、課題だけ大きく渡されて自分で作業して、それを見せて好きなら使われるし、嫌いならカットされて最終的な構成はその振付家が整えていくというやり方だったりしたので、そういう頃から、もし自分が作品を作るとしたらどういうふうにやろうか、ということを考えてはいたようです。出発点がそういう所だったので、自然とグループ思考になっていったのかもしれません。 |
| 手塚 | なるほどー、私は使われるダンサーとしての経験が無いところから作品を作り始めたので、作り始めたあとにはカンパニーの作品に出たわけですけれども。やはりヨーロッパは、カンパニーの数もとても多いし、カンパニーで踊っているダンサーがやはり、岩淵さんのようにクリエイティブな気持ちになって振り付けをするようになる経緯も多いのでしょうね。 |
| 岩淵 | そうかもしれないです。 |
| 手塚 | では、具体的にルーデンスとして始めた時の作業はどんな感じでしたか? |
| 岩淵 | 海外から帰ってきてすぐ始めたという感じだったので、日本での活動経験もなくて、ヨーロッパで自分が経験したシステム、つまり、普通に仕事をするようにダンスをしたいという考え方を持っていたのですが、意識はあってもそれに伴う資金があるというわけでもなかったので、練習時間もとても長くて、最初に関わってくれたダンサーはビックリしてしまったかもしれないです。まず、作品をどういう風につくっていくかという手法的な問題がありますが、それを可能にするための環境の問題、つまり一つの作品を作っていくのにどのくらいの時間をかけてやっていくかという「意識」の問題も話し合いながら、ルーデンスのシステムを確認しながら整えていくのに、作品を作るのと同じくらい時間がかかってきたかもしれません。一番最初にやり始めた時はみんなバイトもやっていたし、スケジューリングのところからはじめたければならないですよね。現実的にみんなそれぞれ支えている生活という物があるわけですから。練習場所の確保も難しかったり、それでもなんとかやってきて、新作のクリエーションは週に4回−5回で1日4〜5時間という練習量は、お金のない初期の頃からやっていました。これはもちろん、カンパニー立ち上げから関わってくれている太田さんをはじめとしたダンサーの協力と理解があって少しずつ出来てきた方法だと思います。 |
| 手塚 | 最初に稽古に入る前に一人で作業するという部分もありますか? |
| 岩淵 | 作品に入るときに「今回は絶対こういう作品」みたいな強いイメージ…動きのマテリアルも含めてですけれど、そういうものを持っているということはあまり実はなくて、カラーとしてこういう感じで行きたいとか、大きなテーマはこういうふうに切っていきたいとか、そういう程度で、あとはリサーチはしても… |
| 手塚 | リサーチというのは?例えば具体的に… |
| 岩淵 | 動きのリサーチというのはもちろんありますけれど、音楽のことやオブジェはどうするかとか、そういうことも含めてリサーチだと思いますから、そういったことを自分の中で広げておいて、あとで具体的なシーンや動きはダンサーの個性に関わってくることなので、ダンサーのメンツが決まり、スタジオで出会って、作品のイメージを話して即興とかを繰り返しながら、ピックアップしていくというやり方ですね。 |
| 手塚 | ごめんなさい、私は英語に疎くて、「リサーチ」という言葉を聞くと、調査ということしか思いうかばないのですけれど、リサーチというのは今のお話で、日本語に訳すとどういう感じですか? |
| 岩淵 | ああ、なんでしょうね、私もよく分からない…。ええと、結局やっていることはリサーチもリハーサルも一緒なのですけれど、実際作品の色が見えてきて、シーンはこういう感じでつくっていくぞーっていう時はリハーサルで、まだ、わりととても広く見ていて、あの… |
| 手塚 | 要素をメモっていくとか? |
| 岩淵 | そうですね、ワークショップもリサーチの一環で、例えば4ヶ月くらいクリエーションの期間を置くといっても、最初の一ヶ月くらいというのはわりとリサーチだったりして、リサーチというのは直接は作品に結びつかなかったりするのを、とにかくなんでも試してしまう時間かもしれないです。それを絞り込んだものでリハーサルに入っていくので、その準備期間かもしれないですね。例えば、リサーチに入る前はダンサーはバラバラな状態なので、その間に頭でイメージしたものがあったら、リサーチに入ったときに「こんなこと試してみたらどうかとおもったんだけど?」とふってみて、良ければそのまま使ったりして発展していくし、でも駄目な事も多々あって、「あ、駄目だね」というふうになったら、ちょっとまた何か探すというふうにします。私のこういうやり方が必ずしもいいとは限らないとは思っています。効率が悪いというか…。でもとりあえず今はこういうやり方でやっています。 |
| 手塚 | そうですか |
| 岩淵 | ただ、作りたい物がはっきりしていたりすれば… |
| 手塚 | でも作りたいものが具体的にどういう形にするのがいいかということは、やはり最初は分からないですよね。だから作りたいものがどういうことで出てくる可能性があるかは、やはり揉んで捏ねてという作業がないと…というか、私のソロ活動では90%くらいがリサーチかもしれないです。今のリサーチということで言えば… |
| 岩淵 | そうそうだから、結局私たちもそれを分けられなくて、でも作品をつくるというのは最終的に形にしないといけないので、締め切りがあるものに対して整えたり取捨選択していかなければならないので。本当は作品にまとめないでそのリサーチだけでも私はハッピーかもしれないですけれど、まあやはり作品あってのカンパニーですし。本当は全然違う作品のリサーチで出てきたことが、その作品では使えなかったのですが、他の作品のリハーサルをしている時に、「あれ、このコンセプトは前の作品をやってる時に出てきたものでは?」ということもあります。そうなるともう一度引っ張り出してきて、リサーチし直したりします。長く付き合ってるダンサーと作業していて良いと思う点は、そういう歴史をシェアしているから、一つの作品だけではなくて、「ほらあの時のコレ!」と言った時に同じ思い出し方ができるので、それはすごく良いことだなと思います。ただ、ダンサーとしては、沢山アイデアを出してもそれが使われるのは三分の一だったりしますから、それは大変だと思います。それでもダンサーがわりとみんな一生懸命関わってくれるのは、アイデアを出せば何かに繋がるかもしれないという、そういう余地もあるので、自分が何かを出せたら、作品に仕上がっていくかも知れないし、出さなければ使われないというところで、そういう作業期間のなかでどういうふうにでも変わっていけるので、ダンサーに任せる部分と自分で探してということとですね。また、振りということで言うと、作った本人が一番出来たりしないですか?ニュアンスや、その人が持っている体の癖があったりということもあって。だから私の振りをダンサーに写した時に、そこで削げてしまうものがあるし、そうするくらいだったら、逆にそのダンサーでなければ出来ないものを引き出してもらった方がいいと思っています。また逆にそれぞれのダンサーがやった振りを私がやっても出来なかったりします。ダンサーが一人抜けたあとに、それを埋め合わせるのは大変です。作品をレパートリーにしていく時には、日本の環境の中では必ず同じダンサーが揃うということが難しいので、その作品を生かし続けるというのは大変な作業です。 |
| 手塚 | ダンサーから出てくるもので構成していたらよけいにそうですね。 |
| 岩淵 | その人がやるからいいという部分が大きいですからね |
| 手塚 | 作品のアイデンティティーというのが何で構成されているかと考えると、やはりそのダンサーが動くということで、というものが一番根底にあったりしますからね。 |
| 岩淵 | もし新しい人が入ったら、コンセプトは同じでも、作り直します。その人だから出るものに換えていかなければならないです。 |
| 手塚 | その作業をする中で、作品の本質的な部分が立ち上がってくるという感じですか? |
| 岩淵 | そうですね。ただ、全く白紙の状態でリハーサルに入るのではなくて、まずタイトルはあったり、今回は動きのこの質にこだわってやってみたい、とかそういうイメージはあります。例えば動きから始めるときは、例えば「Against Newton」という作品の時には、シンプルに「落下する」ということを体で表現する方法、その一、その二、その三、というふうに動きの質感の変化を探っていき、動きを繰り返しているうちに自然に出てくる感情や情感というものは後で拾っていくという作り方をしたりしました。また別のアプローチでは、例えば「Distance」という作品の時などは、「距離」というものを意識する瞬間はどんな時か、という感じでシチュエーションから考えていって、即興などを繰り返しながら、コンセプトとしては見えても動きとして、絵として見えてこない場合には選択肢から落としていくというような作り方もしました。そこを行ったり来たりという感じです。どんな方法を取ったとしても、私一人が考えることではなく、ダンサーとの共同作業の中で進んでいく過程です。 |
| 手塚 | 私事ですけれど、自分が作品を作りながら、また普通に生きながら、という時間の過程の中で一番主になっている物事、気になっているテーマということが、その時々であって、微妙に繋がったり、それを含めてさらにもっと大きなテーマの中にあったり、という感じで、結構作品を作っていて、区切れないというか、混ざっていってしまうような感じがあります。だから、例えば、あれ、これ前の作品と同じじゃない?と思ったり。同じような問題が強く次に出てきたりとかします。だからAという作品はこういうもので、Bはまた違ってこうなりました、というようにA、Bという違いがなかなか無かったりします。 |
| 岩淵 | 私もたぶんそうで、ただ、たぶん人が関心を持っていることというのはそうそう変わるものではなく、それこそアイデンティティーとかパーソナリティーに関わってくるものだから。ただ、その切り口を変えていくというだけの話しだと思います。おそらく深いところでは同じ事を言い続けているのだと思います。それを若干、動きで表したか、シチュエーションで表したかという違いはあっても、もっと先にあるテーマ性は一緒だったりしますよね。それを外の人が見たときにもちろんその人のフィルターを通して見ているので、自分が思ったように感じなかったりもしますよね。それは当然で、全く同じように思ったら逆に気持ち悪いし。ただ、自分の作り方や意識、関心は、ある日突然変わるようなものではないと思います。 |
| 手塚 | 一緒に作業していくとなった時に、振付家とダンサーという立場というよりは、共同作業をしているという状況で、根本的な価値観の違いやいろいろと難しい問題が出てきたりすることもあるのではないですか? |
| 岩淵 | 難しいですよね。ダンサーだけではなく、テクニカルな問題にしても、言葉を使って的確に自分が表したいものを言えるようにするということがどうしても必要とされるように思います。だから、一緒に長く付き合ってくれている人とは、やはりお互いに言わんとしていることを読みとることがしやすい分だけ、作業もしやすくなるということはあります。 |
| 手塚 | ではやっぱり、一緒にやる経験の長さというのが大きいでしょうね。 |
| 岩淵 | ええ、どんなアーティストでもそうだと思います。生理的な所で好きなタイプなものと、そうでないものと、付き合ってみないと分からないですよね。実際、作業をしてみないとお互いの感性なども分からないところが多いので、お互いを理解するのには、やはり、単純に時間をかけてつきあっていく、ということは必要なことだと思います。 |
| 手塚 | それまでは、時間をかけて付き合うということですよね。私はそれが足りないかもしれない。 |
| 岩淵 | 作品をつくるのって、特にカンパニーをやっていく時にはリハーサル以上に人間関係をグループとしてどういうふうにやっていくのか、というのが重要なことだと思います。そこが煩わしいと思えば、人とはできないし。まあ、実際には煩わしいことがいっぱいですよね。自分一人でやっていれば自分が納得すればごり押しでもやれるけれど、人と関係するという所で大変なことも多いです。私はたまたま、煩わしいことがいっぱいあっても一人で作業をするより、人と作業をすることの方により意味を感じるのでカンパニーをやっているという感じです。私は自分の作品でダンサーとして舞台に立つことはほとんど無かったのですが、それはダンサーは、ダンサーの立場でやらなければならないことがとてもたくさんあって、例えば体のコンディションを整えておくこと、アップをきちっとやったり、振りを覚えたり、ダンサーという立場でクリエイティブであり続けたりなど、全部含めてたくさんあると思うのですが、振り付けというのはまたダンサーとは別の視点でやらなければいけないことがたくさんあるので、単純にそれを同時にはできなかったんです。ダンサーとして入ったら、ダンサーとしてこだわることは振りのディティールだったりして、そういうディティールの積み重ねで作品が出来ていくということだったりしますから。そういうディテールのことに集中しながら、同時に全体を見るということが、私には難しいので。 |
| 手塚 | 自分が、何かダンスの公演を見るときは、普通のお客さんとして見ていますか? |
| 岩淵 | 自分の作品でなければ、普通のお客さんですね。 |
| 手塚 | どういう作品が好きですか?シンパシーを感じるものとか? |
| 岩淵 | ジャンルにこだわらず、一番理想的なのは、観ているときにそれを作った人の存在を感じないで、その舞台で起きている現象そのものに見入ってしまうものかな。例えば、映画にしても、どういう手法を使ってるのかなー、なんて考えてしまう時は、実は心がその作品から離れてしまっている時で、ストーリーにグッと引き寄せられてしまうときは感情移入してしまって、どういう手法でつくられたんだろうなんていうことはその時は考えていなくて。。。でも、感動した作品とかに出会った時には、あとから、ふと、「あ、これって作った人がいるんだなー」なんて思ったりします。うまく言えませんが、そういうものが好きです。 |
| 手塚 | なるほど |
| 岩淵 | ダンスで言うと具体的に言うとサーシャワルツとかはすごく好きです。出演者がパフォーマーとしてすごく強くて、更にそれをまとめている装置や衣装も含めての構成力が凄いです。作りたいものというのが振付家によってあると思いますけれど、それがうまく表現できているという。さっきも話題に出ましたけれど、コミュニケーションは大きいカンパニーになればなるほど大変だと思うのですが、それぞれがそれぞれの立場で自分の役目を自覚して、プロフェッショナルな仕事をして、そういうことが作品の凄さや説得力につながっているように感じます。 |
| 手塚 | 例えばその、ダンサーとしての強さというのは具体的に言えば…「強さ」というのはどういう感じですか? |
| 岩淵 | ダンサーが「使われています」という出方ではなくて、自立している、人に与えられた振りであっても、自分で解釈しているということと、そのダンサーの、人としての本質が見えたときは感動しますね。でも、それは自分の得意なことを出してる、ということではなく、作品の中で調和して、でも同時にその人の個性が出ているという。 |
| 手塚 | 今の日本では、ダンス作品を作るという活動において、カンパニーを作っての活動をすることは少ないようですけれど、例えば、ラボ20に応募してくるダンサー達はほとんどが自作自演だったりします。私も自作自演で活動していますけれど、作るという部分では同じようにいろいろなお話を岩淵さんとも出来ると感じました。 |
| 岩淵 | ソロで何か作品を作っていくということはすごく大変なことだと思いますし、逆に逃げ場がないですよね。さっき、グループでやっていくことと比較した時に、「一人でやっていれば、自分がOKと思えばそうできる」というようなことも言いましたが、逆にソロだと自分が何か出来なければゼロなわけだから、そういう厳しさがもちろんあって、どっちがいいとは一概に言えないですよね。 |
| 手塚 | 今回のラボで応募してきたダンサーとの話をしていく時に、作業として違う部分がたくさんあったとしても、共有できることも多いのではないかと思いますけれど。 |
| 岩淵 | ええ、そう思います。 |
| 手塚 | 自作自演で作品をつくると、私もそうですが結構混沌としている時間が多いです。 |
| 岩淵 | でもどんな作品でも、何もないところから作品をつくることで、通らければいけない厳しさというのは同じだと思います。 |
| 手塚 | 今回応募したいと考えている方々に何かメッセージがあれば聞かせてください。 |
| 岩淵 | 作品のコンセプトなどは、その人それぞれの考え方や個性なので、不用意に私がそこにタッチすることは出来ません。でも、迷っている事などを人に言う事、そのこと自体でクリアーになることもたくさんあると思いますので、そういう立場として一緒に関われたらと思っています。何か対象がなければ抱えてる悩みも自分の中でグルグルと回ってるだけになってしまうけれど、アウトプットする時の聞き役…というか、そいういう役割という感じかな。 |
| 手塚 | なるほど。ありがとうございました。どんなラボになるか、楽しみです。よろしくお願いします。 |