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| 醜団リンチへのインタビュー (聞き手 岡田利規) |
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■ −−−僕、落合って初めて降りたんですけど、確か落合って、キャラメルボックスもありますよね。 宝田 ええ。駅からの距離はちょうど同じくらいなんですけど、駅を出て道の反対の方に行くんです。 世志男 明と暗、みたいな (笑)。 ■ −−−まずは、『肛門時代』の素晴らしい脚本について聞きたいんですけど。 丹羽 でも私、うまく答えられないですよ。そういうこと言葉にできないんで。ほんと、何も考えてないんで私。 −−−いいんです別に。考えてるか考えてないかじゃなくて、だって要はおもしろいものが作れてるかどうかだし。まず脚本が素晴らしかったと思うんです。それにしてもムダのない、スマートな脚本ですよね。 丹羽 ムダを書けないんです。直球しか投げられないんです。 −−−でもラストシーンで、丹羽さんが嗚咽してると突然舞台奥が開けて、そしたら食卓の光景が出てきましたよね。会話のない家族の、冷たい食事風景、みたいな。あれはすごい変化球というか、びっくりしました。あれで一気に、作品のレベルがとんでもなく深くなったというか。 丹羽 あれは脚本にはなくて、演出なんですけど。 −−−あ、演出なんですか?すごい演出だなあ…。 丹羽 なんて事のない日常の、なんて事のない食事、でもそういうところから少年達の狂気が生まれて、そういうなかで私たちは生きてるんだよ、みたいなことですよね。 (注:『肛門時代』では少年暴力が主題のひとつであった。) 世志男 芝居ってフィクションじゃないですか。でもそのフィクションを現実にするのもこっちの仕事というか。そうですよね。結局、ああいうイカレた高校生とかをモチーフにしたんだけど、彼らは別に特別なワケじゃなくて、のこのことメシを食っているような高校生も、その親とかも、狂気と隣り合わせにいるわけで、そして、要するにあなた(観客)もそうでしょ、という。毎日同じような生活してても、闇の部分みたいのは絶対に持ってて、みんなが何見てゾッとしたかというと、日常を見てゾッとしちゃった、という。そういうのを、あれはすごく分かりやすく伝えていると思ってるんだけど。 −−−ええ、分かりやすかったです。醜団リンチっていう名前のイメージもあると思うんですけど、なんとなくボク、醜団リンチって、「普通の人と、そうでない自分たちとの間にはギャップがあるけど、でもそのギャップは別に埋まらなくたっていい」みたいな態度を確立させている集団なのかな、みたいに思ってたんですけど、でも、そしたらあの食卓でそのギャップが一気に埋められて、だから作品に排他性は全然ないし、普通の観客に作品を投げかけていく姿勢が、すごくあるというか、すごく一般性のある作品をつくってたんで、ああ、誤解してたなあと思って。 世志男 ウチ、劇団名が劇団名ですけど、大学生の女の子とか、普通のお客さんが多いですよ。それと、ウチは肉体派を標榜しているんだけど、でもどっちかというと文科系なお客さんが多いし。 −−−だって、あのラストの食卓シーンなんか、ヘタな文科系劇団よりよっぽど文科系ですもん。 世志男 普通の人がいて、特別の人がいて、でも僕らはその中間にいるんですよね。 −−−なるほど、中間にいるっていう感覚か。 世志男 というか、表現者だから、柔軟で、ある意味調子いいような感覚で、たとえば右翼の思想にも左翼の思想にもどちらにもいいとこがあるじゃないか、みたいな感覚で、表現には取り組む。で作品ってのはその上でなんらかの方向性なりスタイルなりを持つことになるわけじゃないですか。そのためには、自覚が必要ですよね。まず自分が或る立ち位置に立てていないと、あれが好きこれが好きと言ったところで説得力なんかない。 −−−倫理的ですね。 世志男 スタイルを確立して、作品性、演出性を確立して、特別な存在としての、何のための醜団リンチか、ということを常に考えているわけですよ。だって役者やるだけならどこでもできるじゃないですか。でも僕達は、僕達でしかできない芝居をやる。そういうコンセプトの上で、醜団リンチのスタイルを確立させた上で、それぞれの芝居でいろいろなことをやって、キャパシティを拡げようとも思っています。 ■ −−−醜団リンチは間違いなく今の時代のことを扱ってはいるんだけど、でも潮流にのったスタイルというわけでは必ずしもないですよね。 丹羽 (笑)そうですね。でも『肛門時代』はおしゃれに作ったつもりだったんですけど(笑) −−−あ、そうだったんですか?(笑) 丹羽 ウチとしては精一杯のおしゃれで、『時計じかけのオレンジ』を狙いつつ。 −−−あ、『時計じかけのオレンジ』というのはそうですね。といったところで、それでは暴力描写について聞きたいんですけど、『肛門時代』でボクは初めて醜団リンチを見たんだけど、なんとなく劇団名とかから勝手に抱いていたイメージとくらべると、意外と表現がグロテスクじゃないというか、生々しさみたいなものは、さほど感じなかったんです。脚本に対してもそう感じたように、スマートだなと。他の観客からは、暴力描写について、どんな意見が出ましたか? 丹羽 それぞれです。醜団リンチの割には甘いんじゃないの、という人もあれば、見るに堪えられなかったと言う人もいるし。 −−−醜団リンチの割には、という意見が出るってことは、おしゃれじゃないときの醜団リンチはもっと生々しいわけですね。 丹羽 いろいろですね。『肛門時代』の前の『秋に散る』の暴行シーンはもっと生々しい感じだったし。私はわりと生々しくやりたいタイプなんだけど、タッグを組んでいる世志男は意外と抑えるのが好きですね。抑えるというか、生々しさよりも見せ方を重視する感じというか。 世志男 でもほんと、いろいろですよ。いろいろやって、冒険して、紆余曲折しないと、キャパシティの狭い劇団になっちゃうし。 ■ −−−さっきアトリエに入ってきたとき丹羽さんが迎えてくださいましたけど、すごみのある役者さんって、女優さんだと特にそうだという気がするんですけど、舞台上だとすごくオーラが出てますよね。丹羽さんも出てるじゃないですか。舞台だと。でも今は丹羽さん出してないじゃないですか。常日頃から出されてても困るけど。でも、だから一瞬誰だか分かんなかったですよね。 丹羽 (笑)←(笑い方だけは、舞台と同じだった) −−−でもそういうこと、よく言われませんか? 丹羽 言われます。人づてに私の噂だけ聞いていて、それで実際に会ってみたらエキセントリックじゃない、とか言ってがっかりされたりとか、ありますね。 −−−丹羽さんが一番すごかったけど、でも『肛門時代』に出ていた5人の役者全員が舞台から、ものすごく切実なものを発していたんですよね。で質問なんですけど、なんでそんなに切実なんですか?(笑) というか、この種の切実さを感じる舞台ってそうそう見れるものじゃないと思うんで、今。 丹羽 でもそれは、切実だから。 −−−何が切実なんですか? 丹羽 生きてくことが。 世志男 切実さがないのは、今は、こだわらないからじゃないのかな。小さいことにこだわれない人間が作品にこだわれるわけがないじゃないですか。こだわるということが一番難しいんです僕にとっては。でもこだわりを持っているからこそ説得力が出てくる。作品をつくるというのは、こだわるということですよ。醜団リンチのスタイルに、丹羽の書く作品に、こだわる、誇りを持つ、そうすることができる人とだけやる、そういうことですよね。お手伝いしてくれるコだって、ウチの芝居が好きだから手伝ってくれているし。そうでない人は淘汰される。そういうところは、ウチは明確に出来ていると思います。 −−−そのこだわりは、舞台上に成果としてはっきり現れてますよね。『肛門時代』の当日パンフレットで次回公演の俳優を募集してましたよね。でもボク「これだけの切実さを備えたヤツ、そうそう簡単に見つかるもんでもないだろ」とか思いながらあれ読んでたんですけど。 世志男 確かに簡単には見つからないですね。しぶといヤツか抜けてるヤツか、どっちかじゃないとダメですね。「芝居ってのはさ」みたいに口で言うやつはダメですよね。丹羽の作品は暴力描写とかが激しいけど、「ここまで過激にやることはないんじゃないか」とか、そういう後ろ向きの意見を、別に一緒に作品を作る関係にある人間の口から聞きたいわけではないんですよ。聞きたいのはポジティブな意見であって。「殴ってみようか」「よし」「お、いい殴りかただね」ってふうに呼吸が合わないと、丹羽の作品はそもそも突入しにくいですしね。 −−−諒解が取れている人と創作する、ってことですね。 世志男 自覚があるやつ、というかね。だって一般社会のあり方と一緒ですよ。たとえば、成人になっても投票しない、ってのは政治に対してムキになれないって事でしょ。政治にムキにならないってことは、じゃああなたって何よ?ってことになるでしょ。大人だったら、自分の食い扶持くらいどうにかしようとか、社会に迷惑かけないで生きてくとか、そういうことをまともに考えるのが大人だと思うんですよ。当たり前ですけど。そうやって社会で自覚が必要なように、舞台でも自覚ある役者が必要だということです。僕が作品を作るというときに、お客に見せるために、役者としての説得力、動きやせりふの説得力を訓練するのは当たり前で、それは僕の中の最低ラインの基準です。 −−−やっぱり倫理観が高い。つまり『肛門時代』の舞台には、そういう人が5人いたと言うことですよね。基準をクリアーした人だけがそこにいた。だからこそ、或る観客にはそれが切実さとして映ずるわけで。 世志男 そう思ってくれると言うのは、でも別にこちらの狙いでも何でもなくて、ほんと、それしかないというだけのことなんですよ。 −−−基準だから当たり前、ということですよね。 世志男 当たり前、と言うのでもなくてね、それを維持するのは、すごく難しいしね。僕だって芝居やるの、ヤになっちゃう事もあれば、やり続けなきゃって無理にやってるとこもあれば、これやりたくて生きてるんだ、とか、いろんな感情の中で、毎回作品に臨んでいくんであって、だからどうしても切実になっちゃうんですよ。自分で自分のケツを叩いてね。 −−−なんか、ああいう確信や自信に満ちた舞台を作る人からそういう言葉を聞くと、ほっとします。 世志男 自信なんてないんですよ。自信だけではできないです。 −−−え? 丹羽 私も公演が終わるたびに、自分ってだめだなあ、って落ち込みますね。 −−−え!! 丹羽さんが落ち込むんですか。 丹羽 いっつも「辞める辞める」言ってます。 −−−それは、丹羽さんにそんなこと言われちゃったら、世の中の多くの役者がどうすればいいか困っちゃうと思うんですけど。 丹羽 そんなことないです。 ■ −−−ボクの『肛門時代』の感想ですけど、見ていてすごく解放されたような気分がしたんですね。解放されたのは感情なのかもしれないし、記憶なのかもしれないんだけど。喩えると、自分の奥の方にあるバルブみたいのが、それはもうずっと何年も手も触れていないようなバルブで、錆び付いているようなやつで、それがグイッて、一気に開かれてたような感じ。暗い芝居だし、殴ったりとかする芝居なんだけど、僕は見ていて、だからすごくポジティブでした。敢えて言えば、ヒーリング、みたいな(笑)。そういう感想についてどう思われますか? 世志男 え? −−−なんて訊かれても分かんないですよね。 世志男 うーん(笑)。…結局僕らも舞台上で、ああいう作品ではあるけど、楽しんでやっているから。 宝田 今聞いていて思いだした話なんですけど。以前、ここの誰かが言った言葉で、私は自分の心のバランスを崩されるような舞台なり表現なりが見たい。そうでないものは意味がない、っていうのがあって。それがたとえバランス崩されて鬱に入っちゃうようなものであってもね。解放とかって、そういうことなんじゃないんですかね。ってふと思ったんですけど。 −−−そういうことかもしれません。でもそういう、「癒されました」みたいな感想、他にもアンケートとかにあるでしょ? 丹羽 ありますね。「心のハンカチをどうもありがとう」とか。 −−−そう、そういうことです。それいい言葉だなあ、ボクもそれでいいです。 世志男 特に何かメッセージを意図しているというわけでもないんですよね。見てくれる人が十人十色で感じてくれるんで。作る過程のいろいろな努力は惜しまないんだけど、外からの目ってのは結局分かんないんですよね。自分がどういうものを作ったのか、ってのは、結局まだ分かってないんですよ。 −−−でもそれって、決して分からないものなんじゃないですかね。 世志男 うん、それが言いたいんだけど。でもそれ言っちゃってもつまんないなあ、と思って(笑)。 時折、都議会選挙の宣伝カーの喧騒が、アトリエの面した街道を走り抜けていく中での、インタビューでした。 このインタビューからも、志の高さが伝わるかと思います。今秋のスパーキング21にも醜団リンチは参加します。期待して待ちましょう。 ■醜団リンチホームページhttp://www.tonotono.com/rinchi0708/index.html ■11月7(水)〜9(金)に『ボクサーちんぴら(仮題)』(作:丹羽克子/演出:世志男)でスパーキング21参加! |
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