□20周年記念特別号: 2008年7月アーカイブ

 

ST通信リニューアル第一弾は、STスポット20周年記念としまして

これまでSTスポットの活動にご協力頂いたアーティスト

関係者の方々から御寄稿頂きました。

御寄稿頂きました皆様には重ねて御礼申し上げます。

 

 

ご挨拶

1987年にSTスポットが横浜STビルの地下に誕生してから、昨年11月で満20周年を迎えました。この20年の間に、劇団、ダンス・カンパニーをはじめとして、さまざまなアート分野で活動する人たちがこの場所に関わってくれました。行政とNPO(以前は市民有志のグループ)の協働による劇場運営を継続してきたこと自体が、日本全国の中でも先駆的な取り組みであったと言えます。

また、2004年6月に運営母体をNPO法人STスポット横浜に衣替えしてからも、早4年が経過しています。その後、アート教育事業や急な坂スタジオの運営への参画など、活動内容も大きな広がりができました。

STスポットとSTスポット横浜を直接支えていただいているのは、「STスポット」の利用者であるアーティストやスタッフの皆さん、舞台を楽しみ支えてくださる観客の皆様です。他にも、横浜市や神奈川県など行政機関や関連団体の方々、民間の助成財団や企業において芸術やNPOを支援するプログラムに関わっておられる方々など、多くの人たちのご助力に支えられてここまで来ました。

私たちは、劇場やアートNPOという器を持続させることで、新しいアーティストが生まれ育つ環境をととのえ、アートと社会とのつながりを強化していくという組織としてのミッション(社会的使命)を持っていることを、この機会に改めて確認しておきたいと思います。皆様には、今後とも引き続き、力強いご支援を賜りますようお願い申し上げます。

 
NPO法人STスポット横浜 理事長 曽田修司
 
 
 
 

お祝いの言葉

  ビルの地下にある56平米の空間に、これほどの可能性が秘められていようとは、開設当時のだれが想像していたでしょうか。この空間には、チャレンジしようという若者たちの熱意が集まり、20年間変わらぬ泉として、みずみずしい表現の瞬間が、そこから生まれ続けてきたのです。

 横浜市の文化施策の中で、「先駆的」という言葉がこれほどふさわしい事業も他にないと思います。今、横浜ではアートNPOと行政との協働が進められていますが、STスポットは、まだNPOという概念すら一般的ではなかった20年前から、行政が施設を運営する方式ではなく、舞台芸術の表現者の側に立った運営ができるようにするために、市民団体による運営委員会方式を採用されました。以来、情熱を持ったスタッフによる柔軟かつ意欲的な運営がなされ、数々のアーティストがここから巣立つなど、NPO法人となられた今日まで数々の実績を築いてこられたのです。

 若手劇団やダンスカンパニーにとって、STスポットは、単に場所を提供するだけではなく、公演を行うにあたってのきめ細かいアドバイスをもらえる、頼りになる存在だと伺っています。STスポットでは多くの新進のアーティストが活動を行ってこられましたが、それらの活動は、借り物ではない、横浜独自の文化を創造してきたと思います。また、劇場でありながら、コンパクトな空間であることから、出演者と観客の距離が非常に近く、アットホームな雰囲気があることもこの場所の大きな魅力となっています。

 近年は、横浜市が進める文化芸術創造都市づくりにも積極的に関わっていただき、創造界隈形成などに重要な役割を果たすとともに、施設運営の分野だけではなく、アート教育事業部が芸術文化教育プログラムでも多大の御尽力をされるなど、御活躍のフィールドを広げられ、横浜の文化施策の中心的担い手として、周囲の期待はますます大きくなっています。

 最後に、横浜の貴重な発信型の劇場として、また未来を夢見るアーティストのよりどころとして、今後のますますの御発展を心からお祈り申し上げ、お祝いの言葉とさせていただきます。

 

横浜市長 中田宏

 

 

 

 STスポット開館20周年、心よりお祝い申し上げます。16年前。初めてシタールの生演奏を聴いた会場・・・これがSTとの出会いだった。何故か、開演と同時に右目のコンタクトが目の裏にズレ込み、演奏中は目に鈍痛を感じながらも、神秘的な音律と涙で拡散した照明に包まれ、「やっぱ、これがインドだよなぁ」と妙に納得して非日常空間を楽しんだ事が思い出される。

 同業種の新人だった私にとって、その日以来、STは足繁く通わせていただく劇場になった。当時は、演劇・ダンス・音楽に止まらず大衆芸能・映画等々の公演が多彩に開催されており、さながら「芸術の玉手箱」のような空間だという印象を持った。もちろん、単純に色々な公演が行われる場ではなく、各々の先進性に加え、チラシのデザインやキャッチコピーなど「公演の見せ方」がとても丁寧で、そこからは運営責任者の「志」が伝わっていた。横浜駅に近いとはいえ、奥まったビルの地下にひっそりと存在している小劇場であるにもかかわらず、その「発信力」と「影響力」は都心の大劇場に匹敵し、加えて多くの人材を輩出してきた事も特筆に価する。まさに「山椒は小粒でもピリリと辛い」を地で行くような施設なのだ。

 「どうしたら、この様な劇場運営ができるのだろう」・・・いつしかSTは、私にとって目標と言うよりも「教科書」的な存在になっていた。実際に当時、自分が担当していた劇場の企画運営において、岡崎さんや坂本さんから色々と親身なアドバイスを頂き、そのノウハウを随分と転用させていただいた。この場を借りて、両師匠に感謝申し上げたい。

 その後、縁あって2年間ほどSTの運営に関わらせていただく時期を得たが、「施設経営」という観点から、細かいデータ分析を基に課題を見つけ出し、その解決に向け理事や職員の方々が一致団結して取り組む姿勢には、ただただ感服させられた。自分がどこまで役に立ったのかは甚だ疑問なところではあるが、ここでも沢山の事を学ばせていただいた。と、同時に出会った仲間たちとのネットワークは、その後の私にとって非常に大きな財産になっている。

 このような経緯からも、今年度、私が勤務している「横浜にぎわい座」地下の小ホール(通称:「のげシャーレ」)を活用した事業をSTと協働開催できるのは、非常に感慨深いとともに、ここ数年は疎遠であったSTに期せずして「復学」の機会を与えられたようで至上の喜びでもある。

 


筆者プロフィール

森井健太郎(もりいけんたろう)

横浜にぎわい座副館長。2年間の青年海外協力隊活動を終え、1991年 (財)横浜市文化振興財団に入社。岩間市民プラザ事業担当を皮切りに、「横濱JAZZプロムナード」「横浜ダンスコレクション」「横浜アートライブ」などの事業運営を歴任。赤レンガ倉庫1号館開館準備担当を経て、2002年より横浜にぎわい座勤務。元STスポット理事。

 

 

 

STスポット設立20周年の原稿依頼を頂いて、ああ、初代館長の岡崎さんと出会ったのはそんな前になるのかと感慨深い思いです。この20年間にSTスポットをめぐる状況は大きく変わりました。現在の館長は四代目にあたるわけですが、当初からの使命-「地元演劇と国内コンテンポラリーダンスの創造拠点」に揺るぎはなく、歴代館長およびスタッフたちは、この56㎡の小さな場所で、理想を現実のものとして着々と実現してきました。ここで私が出会い感銘を受けた新しい才能は、枚挙に暇がありません。

 また、昨今では、STスポット以外の場所で公演を実施することも増え注目を集めています。さらに、神奈川県や横浜市の文化政策の一役を担う重要な拠点として教育事業や稽古場運営などにその手腕を発揮しているのも、「使命」を見失うことのなかった20年の蓄積があってのことだと思います。

 STスポットの成功の要因は、ひとつには最小ながらも横浜市の公設民営劇場であるという基盤と行政との良好な協力関係、アーティストの才能を信じて主体的に創造現場に関わっていく頼もしい人材の集結などが、まずは特筆すべきこととして挙げられます。

 それから、劇場の小ささも重要な要因のひとつではないかと私は思っています。60人収容というのは、劇場運営の採算から考えれば「無謀」ともいえるわけですが、それを逆手にとれば、若いスタッフもアーティストも、失敗を恐れず、進取の気象に富むプログラムが実行できるということです。実験的な試みはスタッフとアーティストの成長を多いに促し、現にここからは、多くの人材、作品が輩出されています。

 曽田理事長に、セゾン文化財団は「他の誰にも出来ないことをやってのけるアーティストという存在の唯一無二性に多大なる尊敬を持って接し、アーティストはその専門性をもった唯一無二性ゆえに公共性をもつ、と考えている日本にはめずらしい芸術支援機関」というお言葉を頂戴したことがあり光栄に思っておりますが、いま、このことばを、敬意をもって、STスポットにも捧げます。

 益々のご活躍を祈念しております。

 


筆者プロフィール

久野敦子(ひさのあつこ)

財団法人セゾン文化財団プログラム・ディレクター。現代演劇・舞踊のアーティスト支援の助成事業、自主製作公演やセミナー,国際交流プロジェクトなどを企画。日々、舞台芸術のための新たなインフラ開発、才能発掘、育成のための支援策を考えている。

 

 

 



2006年 中野成樹+フランケンズ 『暖かい氷河期』 撮影:飯田研紀


「なあ中野、お前ちゃんと卒業する気あんのか?」


 僕がはじめてSTでやったのは97年で、ちょうど10周年的な感じの時で、それから毎年STでやってて、ただ98年は人の芝居に出演をしただけで演出やってないので、だから厳密には99年からは毎年必ず一本か二本STで演劇を創ってて、で、今年もやればいわゆるV10達成で、で、97年も含めてこれまでにのべ15作品95ステージやってきて、100まであともうちょいじゃん、とか。


 なんていっときながらあれですが、僕は日ごろ記録を残すとか、記憶に残るとか、できるだけそういったものから遠いところにいようと努力しています。だってなんだかいやらしいじゃないですか、そういうの。結局は広く深く褒めてもらいたいだけなのね、みたいな。まあ、もちろん褒められたいのですが、広く深くね。でも、なんというかその欲求の匂いをね、できるだけまき散らしたくはない。つまり、僕は人からストイックだと思われたいのです。というか、深く褒めないでいいから、最低悪く思わないで、で、できればよく思って、くらいの距離感をですね、この世のすべてに持ちたいなあ、と。ほんと、心の底からそう思っているのです。なんだけども、なんというか、STにかんしちゃ話は別でね。ガンガン記録残して、ドンドン更新して、エンエン記憶に残してやる、という気迫でね。負けたくないです。STにかんしちゃ、誰にも負けたくない。


 なんていっておきながらあれですが、実は去年の12月の公演(*1)のトークとかで「まあ......おそらくSTは今回の公演で卒業になると思います。」とか言っちゃってまして。いや、なんだろう、ほらちょっと前にさ、契約アーティストとかってのがあって、なんだ、それに選ばれた人たちは自分たち公演を内外問わない感じでSTがバックアップしてくれるという、もう感謝してもしきれないくらいお世話になったあのシステム。けど、岡田くんがドーンといって、なんとなく消えちゃった(笑) でも、なんかね、そういったSTの取り組みみたいのがね、消えてしまうのは悲しいことだなあって思ってて。だって「若い創作者を支援する劇場」のほぼはじまりとかでしょ? で、すげー偉そうであれなんですけど、なんかそういうのをさ、自分はもう十分に恩恵をうけたから、次の人たちにね、バトンタッチみたいな感じでとかほんと勝手に思って。で、いきおい卒業とか言ってみたわけです。まあ、なんですけど......。ねえ。


 20周年ほんとうにおめでとうございます!


 STとの出会い、STでの多くの出会いをいつだってどこでだって誇りに思ってます!


 


*1 中野成樹の短々とした仕事その2『家族でお食事ゆめうつつ』


 




筆者プロフィール

中野成樹(なかのしげき)

演出家。中野成樹+フランケンズ主宰。翻訳劇の上演にこだわり、誤意訳なる独自の手法で、海外のマスターピースをまったくの日本の現代劇とする。STスポット初代契約アーティスト。http://frankens.net/

 

 

 



2005年チェルフィッチュ 『ポスト労­苦の終わり』撮影:飯田研紀


 僕がSTスポットに初めて関わったのは、1999年でした。当時STは「スパーキングシアター」という、ショーケース形式の演劇フェスティヴァルをやっていて、それに参加したのです。コンペになっていて、優勝すると会場使用料免除で公演が打てたり、来年のフェスにも参加できたりすることになっていました。むろん優勝をねらいましたが、僕らは三位でした。そのとき一位だったのは中野成樹くんでした。「桜の園」を20分にリミックスした感じのものをやっていたのですが、確かに面白かった。彼とはこのときに知り合いました。そういえば、このフェスを取り仕切る舞台監督のアシスタントみたいな感じで、こまごまと下働きしていたのは、山田うんさんでした。僕は、はじめうんさんがダンスをやっている人だということは知りませんでした。


 そのフェスティヴァルがきっかけで、STになにかと出入りするようになりました。それでダンスも見るようになりました。当時は、ダンスは演劇よりずっと自由な気がして、僕はずいぶんと嫉妬をしました。そして、ダンスに負けないくらい自由な演劇を作りたいと思っていました。そうした中で、いつのまにか僕は、僕なりの演劇のスタイルというものを作り出せていったのだと思います。そのうち、手塚夏子さんと知り合って合同で公演をしたり、ほうほう堂と知り合って一緒に作品を作ったりしました。


 結局、みんな試行錯誤を積極的にやり、なにかを得ていく、ということを、当時からしていた人たちだった。もしかしたら元からそうした資質のあった人たちだったのかもしれない。でも、少なくとも僕は、そういうやり方が自分を先に進めてくれるということを学んだのは、STスポットで得た交流や経験の結果としてのことです。


 あの時期のSTに出入りしていたことで得たことの大きさははかりしれない、と考えている僕なので、STがこれからもそうした場であることを、僕は切に望んでいます。そしてこれまでの20年間にSTが刻んできた歴史がとても意義深いものだと僕が思っているということも、ここで声高に叫んでおきたいと思います。20周年おめでとうございます。そしてこれからも、期待しています。STにというよりも、それ以上に、STをそうした場にしていく若いアーティストたちの出現がこれからも絶えることがないだろうということに。


 


 




筆者プロフィール

岡田利規(おかだとしき)

演劇作家。小説家。97年に「チェルフィッチュ」を結成。横浜STスポットを拠点に活動。04年発表の、『三月の5日間』で第49回岸田戯曲賞を受賞。選考委員からは、演劇というシステムに対する強烈な疑義と、それを逆手に取った鮮やかな構想が高く評価された。http://chelfitsch.net

 

 

 


2006年 the ground-breaking2006 私的解剖実験-4『表層から見た深層』 撮影:松本和幸


STスポットで過ごした時間

  私がSTスポットに足を踏み入れたのは今から七年ほども前のことではないだろうか?孤独なソロ活動の最中で、作品を作る力も幼く、右も左も分からないまま暗闇の手探りが続いていた。STスポットにスタッフとして関わることで、ダンスシーンで何が起きているのか、どんな人々がどのように関わっているのかを知る事が、その時のわたしにとっては必要だと感じていた。
 ダンスのショーケース「ラボ20」では、出演者として参加する一方、その後スタッフとしての経験は何物にも代え難いものとなった。オーディション、公開ディスカッション、リハーサル、ゲネ、本番まで、その過程を一部始終見る事によって、アーティストがどのように自分の欲求と向き合い、変容し、突き抜けていくのかを目の当たりにすることができたからだ。また、あるアーティストが課題を抱えたまま本番を迎えるとしても、その課題に対して、乗り越えようとする姿そのものに、切実で胸がうたれる瞬間もある。彼らはその先、本当に根っこのある作品作りをするアーティストになるであろうと確信した。「ラボ20」で見たものは、完成した商品価値ではなく、アーティストが足下を掘り下げる、その方法を見いだそうとする瞬間に立ちあう至福感であったように思う。
 また、「ラボ20」の優れた点は、アーティストがキュレーターを務めたという点であるように思う。それはプロデューサーや批評家が見る視点とは違う役割であった。創作する過程での心理状況や切実さに、同じ視点で共感できるキュレーターが果たす役割はとても大きく、厳しさは深い所に響き創作の根本的な力なっていったように思う。
 「ラボ20」のオーディションをたくさん見た感想として、本当に素敵な「マイノリティー」の部分を持った人々がなんてたくさん生きているのだろうと思った。確かに、それを「普通」の人々が見た時には様々なギャップがあることだろう。しかし、よく考えると本当に「普通」な人間というのは存在するのだろうか?ダンスシーンも私がSTに関わった頃に比べて様変わりしてきたように思う。「コンテンポラリーダンス」を認知する人も増え、舞台に足を運ぶお客さんもだいぶ増えたように思う。ただ昨今では、そうした「マイノリティー」な部分を珍味な商品として扱う側面も感じる。本当にアートとして役割を果たすのはもっと別の側面のように思う。それは、どんな人も持っている深い部分のズレ、どんな人も持っているマイノリティーさに響きを与え、そこを風穴としてじわじわと世界に響いていくということだ。私はそこに多様さの価値という物を見る。それはアーティスト一人一人が自分の欲求を深く掘り下げることができるかどうか、また、評価の声や逆風にあおられることなく、自分の作業を信じる事が出来るかどうかにかかっているように思う。同時代に生きる全てのアーティストにエールを送りたい。自分も含めて。

 


筆者プロフィール

手塚 夏子(てづかなつこ)

96年ソロ活動をはじめる。'01年1月、生きた自分の体を素材とし、実験を試みる作品「私的解剖実験」が誕生。同年夏、「私的解剖実験-2」にてトヨタコレオグラフィーアワードに出演。03年以来、知的障碍者、一般の方々、ダンサー、俳優、音楽家などを対象にしたワークショップを行っている。'05年より、魅力的なアーティスト達の手法を自分も試す実験的な試み「道場破り企画」をスタート。
 '05年5月以来、ニューヨーク、オーストラリア、ベルリン、ポーランドなどで作品を上演。 http://natsukote-info.blogspot.com/

 

 



2005年スパーキングシアター05 創造者remix 撮影:飯田研紀


 20周年おめでとうございます。私自身は、ちょうど6年前にラボ20に参加させていただいたのが、最初です。1回目は、ソロとして、山崎広太さんキュレータの時、2度目は、グループとして山下残さんキュレータの時。踊り始めたのはもっと前ですが、実際いろいろな方にみていただける機会になったのは、このラボ20からだと思います。そして山下残キュレータのときにラボアワードをいただき、その後いろいろなショーケースにも参加するようになりました。


 ラボ20の特徴は、やはりキュレータの裁量が非常に大きいところだと思います。キュレータによって選ばれる作品ががらりと変わってくる。それを見るのも楽しいですし、そのキュレータの特徴も再確認できます。また、応募するダンサーにとっても、このキュレータに見てもらいたい、このキュレータなら自分を面白いと思ってくれるのではないか、などと参加する楽しみもあります。ここしばらくはラボ20をやっていなかったようですが、またリニューアルされるということで、今後も楽しみにしております。ふたたび多くのダンサーがここから生まれてくるような場になるとよいですね。


 それと同時に、可能性のあるダンサーを継続的にバックアップもしていって欲しいと思います。私の場合、その後ラボセレクション、創造者リミックス、などいくつかの企画に参加させていただきました。様々な形で継続的な支援をしていただけるというのは、とても心強いですし、ダンサー側の、モチベーションの維持にもなります。


 体力の無い最初の頃は、特に辛抱強く見守る期間も大切だと思いますし、今は次々新しいものが、出てきて、消えていくという、消費のスタイルがどの分野でもみられますが、それと同時に継続して支えていくことも必要だと思います。それによりダンサーの自覚も変化してきますし、成長できると思います。本当のものは、時間がかかるものですから。もちろん当然そのような事は考えられていると思いますから、心配はいらないと思います。


 今後もこの小さな空間からまだ見ぬ、得体の知れないものを世に放ってください。そしてその目撃者になれる可能性を信じて横浜へ伺います。


 


                            



筆者プロフィール

鈴木ユキオ(すずきゆきお)

'97年アスベスト館にて舞踏を始め、室伏鴻などの作品に参加。'00年より「金魚」として活動を開始。切実な身体を並べた、ドキュメンタリー的演出・振付方法が注目を集める。 '03年STスポットより「ラボアワード」受賞。'07年京都芸術センター舞台芸術賞2007ノミネート。'08年トヨタコレオグラフィーアワードで「次代を担う振付家賞」受賞。http://www.suzu3.com/

 

 

 

 劇場は時代によって環境も変われば、役割も変わる。そして、関わる人によって変化するものである。しかし、STスポットにはひとつだけ、変わらないものがある。それは、アーティストと劇場とが垣根がなく一緒になって創る姿勢である。

創設から15年間は、まさに一緒に鍬を携えともに田畑を耕すといった運営参加型の制作スタイルだった。それは歴代のスタッフ達がSTスポットで活動した経験を持つアーティスト、または予備軍であったこともその理由のひとつだが、それ以上にSTスポットは、作品を発表する場所だけではなく、みんながよく集い話し合う場所でもあった。雑談からいろいろなアイデアが生まれて企画が立ち上がり、スタッフに加わってもらった。劇団の演出家で、公募の演劇フェスティバルの実行委員長を努めた田中啓介さん、STで旗揚げ公演を行った振付家で、ダンスシリーズの公募企画「ラボ20」を発案し制作を手がけた山田うんさん。そのほかに、岡田利規さん、手塚夏子さん、吉福敦子さんなどが運営に参加してくれたことで、アーティストの舞台芸術に関する問題意識やクリエイティブなエネルギーをSTスポットの活動全般に反映させることが出来た。彼らの本業はアーティストであり、劇場のスタッフとしては数年間のおつきあいであったが、STスポットの基本的な姿勢を語るうえで、忘れることのできない、かけがえのない楽しい時間であった。 2004年1月からは田中啓介さん、加藤弓奈さんが館長を務め、ここ5年は「アーティストがいる劇場」と銘打ち、それまでの間口の広いプログラムから、特定のアーティストを継続的にサポートする「契約アーティスト」という事業を始め、創造型劇場としてのSTスポットを打ち出した。この5年の間に、STゆかりのアーティストたちの活動が様々な分野で数多く開花した感があるが、こうしたスタッフの地道な努力もあったことをここに記しておきたい。
 今年、STスポットは大平勝弘さんと佐藤泰紀さんという新体制になったが、次はどのような時代が訪れるのだろうか。20年一区切り、新しいSTスポット像を今から楽しみにしたい。 

最後に。20年間、多くの方々に支えられました。ありがとうございました。これからの10年、20年も、さらなるご支援を切にお願いいたします。

 

 


筆者プロフィール

岡崎 松恵(おかざきまつえ)

1987年STスポットの開館より2004年1月まで館長、2006年3月までBankART 1929の館長を務める。2008年3月舞台芸術の企画制作を手がける制作オフィス[Zebra]を立ち上げ、「Offsite Dance Project」を開始。NPO法人STスポット横浜理事。
http://www.offsite-dance.jp

 

 

 

アートと学校、アーティストと子どもたちをつなぐジグソーパズル

 アート教育事業部が発足して4年と半年間に何をしていたかってことですが、大きく2つ。私たちは、かながわボランタリー活動推進基金21協働事業負担金事業「アートを活用した新しい教育活動の構築事業」を主体に活動してきました。子どもたちの立場からみると、学校でアーティストが授業をしてくれる。先生の立場からだと、アーティストの目線を通じて子どもたちを再発見するっていう現場です。アーティストにとって、子どもたちの前に立つってことは結構しんどいことではなかったかと思います。言葉での説明なしに、なんだかすごいアートの力を伝えなければいけないし、言葉を使ったとしても、子どもたちにどうやったら伝わるかが毎回問われるわけですから。そんなわけで、教室という空間で子どもたちと真剣勝負するアーティストの現場を裏で支えてきました。ということがひとつ。

 そもそも、私たちだけでこの事業を走らせてきたわけではないのです。伴走者は、神奈川県県民部文化課と県教育委員会高校教育課と子ども教育支援課の担当者たち。文化芸術行政の中で教育寄り、教育行政の中で芸術文化寄りにある活動内容を、NPOが結着点となり、対等な関係性をもとに行ってきました。協働を前提に、NPO+行政でできることを具現化してみせたことと、活動を通して県の教育政策や文化芸術政策にも提言をしました。ということがもうひとつ。

 さて、今年度で県との協働事業は終了です。これからは横浜市と横浜市芸術文化振興財団、市教育委員会と協働の体制をめざして、民・官の関連団体・諸機関がゆるやかにつながる、横浜市芸術文化教育プラットフォームの形成に参画していくことになります。

 最後に、お名前だけになりますが、ご協力いただいたすべての方に感謝を伝えたいです。演出家の明神慈さん、音楽家の木並和彦さん、俳優の中島美紀さん、俳優の日下部そうさん、俳優の田上智那さん(当時)と俳優の並木大輔さん(当時)、俳優の浦壁詔一さん、ダンサーの新鋪美佳さんと福留麻里さん、演出家の夏井孝裕さん、俳優の久保田芳之さん、俳優の町田カナさん、俳優の綾田將一さん、書道家の武田双雲さん、演出家の横山仁一さん、俳優の早川紘生さんと黒岩司さんと金川周平さんと吉井俊輔さんと中田大地さん、演出家の柏木陽さん、パフォーマーの香川亮さん、俳優の金崎敬江さん、俳優の福田毅さん、俳優の倉品淳子さん、俳優の浦弘毅さん、ダンサーの常樂泰さん、演出家の桑原裕子さん、俳優の若狭勝也さんと佐藤滋さん、ダンサーの手塚夏子さん、演劇百貨店の大西由紀子さん、美術作家の井上尚子さん、音楽家の平尾信幸さん、音楽家の池田邦太郎さん、ダンサーの上村なおかさん、演出家の中野成樹さん、俳優の石橋志保さんと野島真理さん、美術作家の渡辺晃一さん、演出家の吉田小夏さん、ダンサーの森下真樹さん、ダンサーの入手杏奈さん、通称トリのマークの柳澤明子さんと山中正哉さん、美術作家の保科晶子さん、美術作家の景山健さんと石井恵さん、演出家の長谷基弘さん、ありがとうございました!!

 

 


筆者プロフィール

松尾 子水樹(まつおこなぎ)

STスポットアート教育事業部主任学芸員

斎藤記念川口現代美術館、神奈川県民ホールギャラリーの学芸員として、現代美術の展覧会およびワークショッブを企画運営する。作品と観客をつなぐ、美術館と学校をつなぐ仕事をライフワークとすべくNPO法人STスポット横浜 アート教育事業部の仕事をはじめる。

 

 

 

「ホーム」

 STスポットと私の出逢いは劇的なものではありません。でも互いに大きな節目だったことは事実です。就職先の決まっていない大学4年生と15周年を迎えた小劇場。インターンとしてお世話になっていて、様々な事業のお手伝いをしました。気がつけば新年度から職員になっていました。

 働き始めた頃は何もわからず、ドキドキしながら小屋番をしていました。舞台用語混じりの会話は暗号みたいだし、たまにすごく怖いスタッフさんもいるし...今思うと、頼りない劇場職員でした。転機が訪れたのは6月。チェルフィッチュ、中野成樹+フランケンズ、ぺピン結構設計という3団体が合同で劇場を借り、各々が30分程の作品を上演するという企画でした。

 この時、アーティスト主導で「こういうことをやりたい!」と思えるような劇場なんだ、ということに改めて気がつきました。そして、それを受け止めることができる劇場だということも。当時、職員は岡崎さん、田中さん、私でした。歴代館長3人が揃っていたと思うと、感慨深いものがあります。職員を始め、STに関わるスタッフは皆、目の前にいるアーティストにとってベストの環境を一緒に作り上げようと、あらゆるサポートをします。無理をしているわけでも、押し付けがましいわけでもなく、独特のスタンスを持っています。そのことに気がついたとき、とても気が楽になりましたし、こういう人に私もなるんだ、という目標ができました。

 あれから五年。楽しいことも、悔しいこともありました。利用者の数だけ、出逢いとハプニングが起こりました。作り手にとって、劇場を借り上演をする、ということはものすごいエネルギーを要します。時間もお金もかかります。その不安やストレスをちょっとでも解消してあげることがSTらしさだと思います。私にはマイナスをプラスに転じさせるだけの力はありません。でも、マイナスをゼロまで持ってくためのお手伝いをしようと、努めてきました。

 今、私は別の劇場に勤務しています。正直、淋しい気持ちもあります。でも劇場が変わってもSTで培ったマインドは変わらないでしょう。経験を積んで成長したら、再会しようと思います。たとえ私を知らなくても、職員は「お帰りなさい」と迎えてくれるでしょう。STスポットは何年経っても、関わったすべての人にとってのホームであるはずです。最後にSTへの私信を。

 「5年間、本当にありがとう。どこにいても心はホームに。」

 


筆者プロフィール

加藤 弓奈(かとうゆみな)

まつもと市民芸術館・企画制作専門職員

1980年生まれ。早稲田大学第一文学部卒。卒業後、STスポット職員として勤務。演劇制作を担当。2005年に館長就任。2008年5月より現職。

 

 

 

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